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函館地方裁判所 昭和56年(行ウ)1号 判決

原告 生井清六

被告 函館労働基準監督署長

代理人 榎本恒男 坂井満 和田寛治 ほか六名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五三年九月二九日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  本件処分の存在

(一) 原告は、函館市千歳町所在の訴外北海小型タクシー株式会社(以下、「訴外会社」という。)に雇用され、タクシー運転業務に従事していたところ、昭和五〇年一〇月二〇日午後九時四〇分ころ、乗客二名を乗せて営業運転中、北海道上礎郡上礎町字七重浜国道二二七号線大野新道路上において脳出血を発症した(以下、この脳出血を、「本件脳出血」という。)。

(二) そこで、原告は、被告に対し、本件脳出血の発症について「業務上」の疾病であると主張し、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付の請求をしたところ、被告は、昭和五三年九月二九日付けで、本件脳出血は業務上の疾病とは認められないとの理由で、右療養補償給付を支給しない旨の処分(以下、「本件処分」という。)をした。

原告は、北海道労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分について審査請求をしたが、同審査官は、昭和五四年三月六日付けで右審査請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、昭和五四年五月二六日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五五年一二月一日付けで右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同月二六日、右裁決書騰本が原告に交付された。

2  本件処分の違法性

原告の本件脳出血は、以下のとおり、「業務上」の疾病であるから、本件処分は違法である。

(一) 原告の経歴

原告は、昭和六年一二月二二日生れの男子(本件脳出血の発症時四三歳)であり、昭和三一年五月から昭和三二年一月まで訴外株式会社実用タクシーに、同月から昭和三三年二月まで訴外太陽自動車株式会社に、タクシー運転手として雇用され、昭和三六年一月二一日から本件脳出血の発症後の昭和五一年六月一二日まで訴外会社にタクシー運転手として雇用された。

(二) 原告の勤務形態等

(1) 訴外会社の勤務体制

イ 訴外会社におけるタクシー運転手の勤務は、泊り勤務、終車上り勤務の二つの勤務形態から成り、これと、勤務明け(勤務のない日を指す。)、公休日(休日を指す。)との組合せから勤務体制がつくられている。

このうち、泊り勤務は、拘束二四時間(午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分まで)、実働一六時間であり、休憩四時間(午前一一時三〇分から午後一時〇〇分まで、午後五時三〇分から午後七時〇〇分まで、午前零時三〇分から午前一時三〇分まで)、仮眠四時間(午前一時三〇分から午前五時三〇分まで)である。

また、終車上り勤務は、拘束一八時間(午前八時三〇分から翌日午前二時三〇分まで)、実働一六時間であり、休憩二時間(午後零時〇〇分から午後一時〇〇分まで、午後六時〇〇分から午後七時〇〇分まで)である。

ロ 訴外会社における勤務体制は、次のように一週間単位で組み立てられ、拘束六〇時間実働四八時間週休制である(以下、これを、「基本勤務体制」ということがある。)。

(第一日) 泊り勤務

(第二日) 勤務明け

(第三日) 終車上り勤務

(第四日) 勤務明け

(第五日) 終車上り勤務

(第六日) 勤務明け

(第七日) 公休日

なお、訴外会社は、右の基本勤務体制につき、一年間に六回、勤務交番の変更をし、これにより、各運転手の公休日となる曜日の変更を行っていた。

(2) 昭和四九年五月一三日までの勤務形態

原告は、昭和四九年五月一三日午前一時一五分ころ、営業運転中、同僚である訴外山口末太郎運転のタクシーに追突された(以下、「本件追突事故」という。)。

原告の勤務形態は、本件追突事故に遭うまで、基本勤務体制に従っていた。

(3) 昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までの勤務形態

原告は、昭和五〇年二月二一日訴外会社に復帰した。

右復帰日である昭和五〇年二月二一日から同年六月二一日までの原告の勤務形態は、基本勤務体制によらず、次のとおりで、拘束五四時間実働四八時間週休制であった。

(第一日) 終車上り勤務

(第二日) 勤務明け

(第三日) 終車上り勤務

(第四日) 勤務明け

(第五日) 終車上り勤務

(第六日) 勤務明け

(第七日) 公休日

(4) 昭和五〇年六月一三日以降本件脳出血時までの勤務形態

原告は、訴外会社の指示により、昭和五〇年六月一三日以降、本件脳出血発症時まで基本勤務体制による勤務形態に就いた。

(5) 本件脳出血発症直前の勤務形態

イ 原告が本件脳出血を発症した日までの一週間及び直後の二日間の勤務形態は、次のとおり予定されていた。

昭和五〇年一〇月一四日(月曜日) 泊り勤務

一五日(火曜日) 勤務明け

一六日(水曜日) 終車上り勤務

一七日(木曜日) 勤務明け

一八日(金曜日) 終車上り勤務

一九日(土曜日) 勤務明け

二〇日(日曜日) 公休日

二一日(月曜日) 公休日

二二日(火曜日) 公休日

なお、二一日及び二二日は、勤務交番変更による公休日に当たっていた。

ロ 原告は、右予定に従い、一〇月一四日、一六日、一八日とタクシー運転業務に従事した。

(三) 昭和五〇年一〇月二〇日における本件脳出血の発症経過

(1) 本件脳出血の発症の日である同月二〇日は、前記のとおり公休日の予定であったところ、交番上欠勤者があり、補充の運転手がいなかったので、訴外会社の求めに応じ終車上り勤務に就いた。

(2) 当日、原告は、午前七時三〇分に訴外会社に出勤してタクシーに乗務し、夕食を終えて市内を営業運転中、午後九時三〇分ころ、函館市若松町の函館駅前で男の乗客二人を乗せ、上磯郡上磯町字七重浜追分の目的地へ向かった。

(3) 同日午後九時四〇分ころ、原告が上磯郡上磯町字七重浜国道二二七号線大野新道に入り、函館本線踏切直前にきたとき、右手が急にハンドルから落ち、このころ本件脳出血を発症した。

(4) しかし、原告は、左手だけで運転を続行し、乗客が「運転を替わってやる。」と申し出たがこれも断り、約一〇分間運転を継続して目的地に到着し、乗客を降車させた。

そこで、原告は、無線で訴外会社に対し「身体具合が悪く病院を探して欲しい。」旨の連絡をとったが、その時右手の感覚がなくなり、同時に意識を失った。

(四) タクシー運転労働と健康への影響

(1) タクシー運転労働の問題性

原告は、前記のとおり、昭和三六年一月二一日から訴外会社に雇用され、本件脳出血の発症に至るまで約一五年間、タクシーの運転労働に従事してきた。

そして、このタクシー運転労働は、一般にはハンドル時間約一六時間制の隔日勤務をとる夜勤交替勤務(拘束六〇時間実働四八時間週休制)であるが、次の二つの点で、問題のある勤務形態である。

イ 夜勤は日勤に比べ疲労度が大きく、疲労度は日勤、夕勤、夜勤の順に大きくなるが、車両運転労働は、神経性作業密度が高いにもかかわらず、条件はあるにしても拘束時間が二四時間まで認められ、一回の勤務での肉体的、精神的、神経感覚的疲労度が著しくなるのに対し、その回復のための睡眠を夜半過ぎあるいは朝から昼間にかけての時間帯でとらねばならないため、通常の睡眠に比べ疲労回復効果が著しく減殺される。そのため回復が遅れる中年以上の運転者では、特に蓄積疲労を生みやすく、この進行は、疾病抵抗力の低下を基盤に種々の疾病にかかり易くし、またかかれば回復を長引かせる。さらに中年以上の運転者個人によっては、労働寿命短縮に繋がる問題が例外としてではなく現われても不思議ではない。

ロ 労働時間が算術級数的に長くなっていく場合、それによる疲労を回復するのに必要な時間は幾何級数的に長くなるとされる。この点からも、ハンドル時間八時間二交代制(日勤と夜勤と六日ずつ続け勤務が交替される制度で、今日ではほとんど見られない。)とハンドル時間一六時間隔日制とは、両者とも一日当たり労働時間が同じとして扱われるが、運転手の疲労と回復、健康、安全や福祉の上で等質とはいい難い。いうまでもなく、後者の場合、疲労度が大きいため労働時間との相対的関係以上に長い睡眠と休息が必要となる。勤務と次の勤務との間隔時間(勤務明けの日の自由時間)は長くても、運転手がこの制度を受け入れる主要な理由(継続走行時間を前者より長くでき、それだけ収入増になることのほか、長い自由時間を家の用事や娯楽等に、また若い元気な間は、臨時の内職や車で遠出の遊びなどにも使え、さらに出勤回数を半分に減らすことができるなど、運転手個人のメリットがある。)のため、結果的には過長な拘束・運転時間で高度となった疲労に十分見合うだけの休息・睡眠時間の確保が往々にしてできなくなる。このため長い期間にわたり、毎回の勤務が深夜にわたる過長な労働時間の下での就労が繰り返されているならば、そしてその労働が道路上の人や自分や車の安全のため、またしばしば速度を上げて走り実車率を上げようとするため、神経緊張が続けられるような性格の労働として過長な時間繰り返されるならば、早晩最も問題となる過労に陥り易いといわなければならない。

(2) タクシー運転労働の特徴

このタクシー運転労働は、次の労働生理衛生学的特徴を有している。

イ 長時間で、深夜にわたる高密度の集中労働であること。

ロ 運転手が、神経緊張と精神的ストレスの状態に置かれ易いこと。

ハ 運転終了時に最低血圧の上昇と脈圧低下(心臓活力の弱化)が認められ、運転にともなうイライラ感という単なる精神面の現象に止まらず、ストレスの影響が客観的な変化として循環機能や電解質(ナトリウムやカリウム)代謝の上にもはっきりと現われること。

ニ 出庫からの経過時間が一〇時間前後を境にそれ以前とはっきりと相違して、運転者の疲労感が、主観的並びに官観的に漸次進行し、高度化すること。

ホ 「スピードの出し過ぎによる減速不十分」、「悪天候(特に雨天の場合)による運転困難」など、運転に伴う不安定要素と神経緊張や情緒反応といった血圧を上昇させる諸条件が少なくないこと。

(3) タクシー運転手の罹り易い疾病とその発症要因(特に循環器疾患について)

タクシー運転手は、その労働の労働生理衛生学的特徴から、腰痛、痔、胃下垂、神経痛、胃潰瘍、高血圧、十二指腸潰瘍などの疾病にかかり易いと考えられる。

脳卒中や心臓発作などの循環器疾患は、いくつかのリスクファクター(危険因子)が重なって発症するといわれているが、それは次のとおりである。

イ 高血圧症、動脈硬化、高コレステロール血症、糖尿病などの基礎疾病のあること。

ロ 遺伝的要因(肥満)

ハ 食生活(コレステロールの多い脂肪食品や、食塩の過剰な摂取)

ニ 過度の飲酒や喫煙、寒冷等の条件

ホ 運動不足

ト ストレス(特に神経の過緊張や緊張の連続となるような大脳への刺激)

運輸交通関係の業務(職業運転手を含む。)のように、安全のため時々刻々必要な情報を確認し、速やかな判断に基づき即座に正確な処理を要求される神経労働に従事する場合は、神経緊張の持続を介して心臓を中心とする循環器への負担を大きくかけることになり、タクシー運転手の場合は、それが持続されるので、職業的ストレスにより、循環器疾患の基礎疾病を徐々に用意し、あるいは促進しつつあると考えられ、タクシー運転手に発生した循環器疾患を運転条件と全く関係なく発生したとする積極的根拠を見出すことは容易でない。

(五) 原告の健康状態

(1) 昭和四九年五月一三日まで

昭和四九年五月一三日の本件追突事故時までは、訴外会社の実施する健康診断によっても、本人の自覚症状としても、原告の健康状態には、さしたる異常はなかった。

(2) 昭和四九年五月一三日から昭和五〇年二月二〇日まで

イ 本件追突事故において、原告は、顔面を自車内のダッシュ盤の計器に強打され、舌と唇が切れ、全身打撲を負い、腰や体の方々に痛みを感じた。頭には瘤ができていた。

原告は、本件追突事故当日、救急車で市立函館病院に運ばれ、舌の縫合治療を受けたが、「右胸部打撲、左下腿擦過創、口腔内挫傷」と診断され、翌五月一四日、函館中央病院に転院し、「全身打撲、舌挫創、左下腿擦過傷」と診断された。

原告は、同月三一日、右病院を退院し、昭和五〇年二月二〇日まで同病院への通院治療を行った。

ロ 本件追突事故後、昭和四九年五月一三日と一四日の市立函館病院での血圧測定によれば、原告の血圧は、八回測定中の三回が高血圧、一回が境界域高血圧に相当し、かつ最高血圧より最低血圧が相対的に高い測定値の多いことが注目された。

ハ 原告は、昭和四九年一一月八日、風邪で青山外科胃腸科の診察を受け、「上気道炎」と診断されたが、その際の血圧測定では、最高血圧一三〇、最低血圧九〇であり、最低血圧が境界域高血圧に入っていた。

(3) 昭和五〇年二月二一日から本件脳出血の発症時まで

イ 原告は、復帰当初の、泊り勤務を含まない終車上り勤務だけの勤務形態に対しても、勤務が辛く感じられたが、その後、昭和五〇年六月一三日から就いた基本勤務体制による勤務形態は、健康上不安でやりたくなかったもので、その就業は、一層きつく感じられた。

なお、復帰後の昭和五〇年四月一六日、風邪で青山外科胃腸科の診察を受け、「感冒」と診断されたが、その際の血圧測定では、最高血圧一二六、最低血圧八八であった。

ロ 原告は、本件追突事故後、復帰してからも、腰痛、めまい、耳鳴り、舌のもつれ、「蜘蛛の巣のような、綿ボタンのようなものが目に映る」、「雨の降る日に首の後がぼうとした感じがある」、「頭がボーッとする」、「手に力が入らない」、「物が二重に見える」などの自覚症状が時々感じられ、健康に不安感を抱いていた。

ハ 原告は、右自覚症状が続くため、不安も重なり、心配のため昭和五〇年五月二三日、上京して、日本大学医学部付属板橋病院で診察を受けたが、異常なしと診断された。

ニ 原告は、昭和五〇年一〇月六日、風邪で杉目循環器科内科クリニックの診察を受け、「急性上気道炎」と診断された。その際の血圧測定では、最高血圧一六〇、最低血圧一〇〇であり、血圧は異常であった。

(4) 原告には、本件脳出血の発症以前に高血圧症はなく、本件脳出血は、「高血圧性脳出血」ではなく、「一過性高血圧症による脳出血」である。

(六) 本件脳出血と「業務上」外認定

(1) 「業務上」の解釈

イ 労災保険法等が採用する法定補償制度は、その補償の対象を「業務上」の負傷、死亡、疾病と定めるのみで、それ以上の定義規定を全く置いていない。したがって、当該負傷、死亡、疾病が「業務上」か否かは、すべて法律解釈に委ねられている。

法定補償制度は「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充すべき」最低の労働条件(労働基準法一条)を確保して、労働者の生活を保障することを目的とする法律制度であり、社会に発生した損害を公平に填補することを目的とする損害賠償制度とは制度の目的を異にする。どのような法的条件を満たしたときにその法律制度の保護を受けるか否かは、その法律制度の目的に照らして決定されなければならない。

損害賠償制度において、不法行為と損害との間に相当因果関係を必要とすると解されている実質的根拠は、損害賠償制度の制度目的に照らし、「通常の場合に生ずべき損害を填補させることが最もよくその制度の目的に適する」(我妻栄「新訂債権総論」一一九頁)からである。しかし、法定補償制度の前記目的に照らせば、「通常の場合に生ずる」負傷、死亡、疾病だけを法定補償の対象とすることが制度の目的に適するとはいえない。

法定補償制度の目的に照らせば、当該負傷、死亡、疾病について、労働者保護の見地から法定補償の法的救済を与えることが合理的か否かの実質判断から総合判断されるべきであり、相当因果関係の有無ではなく、合理的関連性の有無によって決定されるべきである(合理的関連性説)。

仮に、法定補償の対象を、業務と相当因果関係ある負傷、死亡、疾病と解する(相当因果関係説)としても、それは、損害賠償制度における相当因果関係説と区別され、それよりも救済対象を拡大したものと捉えられるべきであり、合理的関連性説と同一の実質的判断によって決定されるべきである。

ロ 法定補償の対象につき、どのような法解釈を採用するとしても、脳卒中、急性心臓死等の循環器疾病につき、その「業務上」外を認定する最も合理的な基準が必要である。

法定補償制度の目的及び判例理論によって確立された循環器疾病の「業務上」外認定基準としては、次の要件を満たす疾病は、「業務上」の疾病と認定すべきである。

〈1〉 当該疾病に悪影響を与える業務に従事していた労働者であること。

〈2〉 右〈1〉の労働者に脳卒中等の循環器疾病が発症したこと。

〈3〉 当該業務への従事と当該疾病(基礎疾病を含む。)の発症、増悪、軽快、再発などの推移の関連性が推定されること(右関連性が医学的に明確に証明される必要はなく、また、業務への従事と疾病発症までの時間的間隔につき医学的証明を必要としないというべきである。)。

(2) 本件脳出血の「業務上」該当性

イ〈1〉 原告の脳出血は、前記のとおり、「一過性高血圧症による脳出血」である。

〈2〉 タクシー運転労働は、前記(四)(2)のとおりの特徴を有しており、その結果、職業的ストレスによって脳血管疾患、虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態をその自然的経過を超えて増悪させ、その発症の引きがねとなり得る荷重負荷を当該労働者に与える労働であるところ、原告は、本件追突事故により、その健康状態を壊して回復に至らぬ状態で昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までは拘束五四時間実働四八時間週休制の労働に、同月一三日から本件脳出血の発症に至るまでは拘束六〇時間実働四八時間週休制の労働に従事したが、原告にとって、右労働は、健康時ではないだけに本件脳出血を発症させる荷重負荷を伴うものであったというべきである。

したがって、仮に「業務上」外の認定につき相当因果関係説をとるとしても、原告の本件脳出血は、原告の従事したタクシー運転労働と相当因果関係があるというべきである。

〈3〉 しかも、原告が本件脳出血発症直前に従事した一週間のタクシー運転労働(昭和五〇年一〇月一四日から同月二〇日)については、原告は、当該週はきつく目一杯勤務できずに、早め早めに勤務を切り上げていたものであったから、原告にとって、右一週間の労働は、健康時ではないだけに本件脳出血を発症させる荷重負荷を伴うものであったというべきであり、したがって、原告の本件脳出血は、原告の従事したタクシー運転労働と相当因果関係があるというべきである。

〈4〉 更に、原告が本件脳出血の発症直前に従事した昭和五〇年一〇月二〇日のタクシー運転労働は、通常であれば勤務を必要としない公休日であるのに、出勤を指示されて終車上り勤務に就いたものであるところ、原告は、当日までに、拘束六〇時間実働四八時間週休制の労働に就いていたものであるから、原告にとって、右同日の本件脳出血の発症までの約九時間のタクシー運転労働は、本件脳出血を発症させる荷重負荷を伴うものであったというべきであり、したがって、原告の本件脳出血は、原告の従事したタクシー運転労働と相当因果関係があるというべきである。

ロ 仮に原告の本件脳出血が、「高血圧性脳出血」であったとしても、前記イ〈2〉ないし〈4〉の原告の従事した各タクシー運転労働は、本件脳出血の発症の基礎となる病態(高血圧症)をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させる荷重負荷を伴うものであったというべきであり、したがって、原告の本件脳出血は、原告の従事したタクシー運転労働と相当因果関係があるというべきである。

ハ しかも、本件脳出血においては、右発症後の約一〇分間のタクシー運転業務が症状の増悪に著しい悪影響を与えている。

(3) したがって、本件脳出血は、「業務上」の疾病である。

3  まとめ

以上のとおりであって、原告の本件脳出血は、「業務上」の疾病であり、被告が、「業務外」の疾病であるとしてなした本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1は認める。

2(一)  請求の原因2の冒頭部分は争う。

同(一)のうち、原告の年齢、原告主張の時期訴外株式会社実用タクシーにタクシー運転手として雇用されたこと、同じく原告主張の時期訴外会社にタクシー運転手として雇用されたことは認めるが、その余は不知。

(二)  同(二)は認める。

原告の本件脳出血の発症前約三か月間の勤務状況(出勤、退社、労働時間、走行距離)は別紙1のとおりであり、原告と同年代同職歴の同僚運転手の同期間における勤務状況は別紙2のとおりである。これによれば、原告の右期間中の出勤日数、労働時間、走行距離は、それぞれ右同僚運転手の九八パーセント、九三パーセント、九一パーセントにとどまっている。また、原告の同期間の月別勤務状況を見ても、各月毎の一日当たり走行距離は、一四六ないし一五一キロメートルであって、ほぼ一定しており(なお、一勤務の走行距離は、右数値の二倍となる。)、深夜労働時間も、四八・五ないし五三時間であって、他の同僚運転手と格別の差がなかった。

そして、本件脳出血の一週間前の勤務状況も、右と全く同様であった。すなわち、昭和五〇年一〇月一三日の公休日の後、同月一四日午前八時一六分から同月一五日午前七時三五分まで泊り勤務(労働時間一六時間、走行距離三〇九キロメートル)、同月一六日午前八時三〇分から同月一七日午前二時〇一分まで終車上り勤務(労働時間一六時間、走行距離三〇〇キロメートル)、同月一八日午前八時二一分から同月一九日午前二時〇九分まで終車上り勤務(労働時間一六時間、走行距離二八五キロメートル)にそれぞれ従事し、一日の非番の後、同月二〇日を迎えたが、この間、勤務状況はもとより、原告の健康その他の点についても普段と異なることは何も窺えなかった。

(三)  同(三)(1)ないし(3)は認める。(4)のうち、原告が左手だけで運転を続行したとする点は不知、その余は認める。

(四)  同(四)は争う。

疫学データによれば、タクシー運転手は、高血圧症を示す者又は脳血管疾患、心疾患による死亡者の割合において、他の業種と比較しても平均的な割合にとどまっている。

このことは、業務上疾病に関する労働省の諮問機関である「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」の昭和五九年五月二六日付け報告書においても、脳血管疾患及び虚血性心疾患等については、特定の業務ないしは業務形態との相関関係は認められず、個々の事案において業務起因性を検討するのが妥当との意見具申がなされていることからも首肯される。

(五)  同(五)(1)のうち、訴外会社の実施する健康診断で異常とされたことがないとの点につき、昭和四六年四月から昭和五〇年九月までに実施された計六回の健康診断について認め、その余は不知。

(2)イ第一段のうち、本件追突事故による原告の負傷内容については不知、第二段は認める。第三段中、「昭和五〇年二月二〇日」とあるのは「昭和五〇年二月二八日」の誤りと思われるが、その余は認める。ロ、ハは認める。

(3)イ前段は不知、後段は認める。ロは争う。ハのうち、原告がその主張の日、主張の病院で診察を受け、主張の診断を受けたことは認め、その余は不知。ニのうち、血圧は異常であったとの点は不知、その余は認める。

原告が、その主張の日に日本大学医学部付属板橋病院を受診したのは、これ以前、本件追突事故により舌部に受けた負傷により舌部の一部に味覚脱失が生じたとして昭和五〇年三月六日被告に対して障害補償給付請求をしたところ、右味覚の一部脱失が労災保険法施行規則一四条一項別表第一に定める障害等級に該当しないため、同年四月二四日付けをもって被告により不支給処分とされたことから、右処分について不服で審査請求をなすべく、舌の味覚異常について自己に有利な診断を得るためのものであったと理解され、復帰後の原告にロ主張のような自覚症状があったことは到底認められない。

同(4)は争う。

WHO基準によると、正常血圧は一四〇ないし九〇、高血圧は一六〇ないし九五であり、その間が境界域とされているところ、原告は、本件脳出血の発症時のみならず、本件脳出血の発症前(本件追突事故による入院時、昭和五〇年一〇月六日の感冒様症状による受診時等)においても高血圧ないし境界域の血圧を示しており、原告は、原因が不明の本態性高血圧症に罹患していたと判断される。CTスキャン撮影の結果によると、本件脳出血は、線状体内側枝の末端からの出血に基づく外側型脳出血であることが明白であって、その血腫の位置、形状、進展の仕方は、本態性高血圧症による脳出血に特徴的なものであり、このことからも、原告に本態性高血圧症の基礎疾病があったことは疑いがない。原告の場合、本態性高血圧症のために脳内に動脈硬化ないし動脈瘤が形成され、これが何らかの原因によって破裂して脳出血が発症したものである。

脳出血のリスクファクターとしては、高血圧症、心臓疾患、糖尿病、高脂肪症等が一般的であり、遺伝的要因、食生活、過度の飲酒等も脳出血に影響する。しかし、ストレスや寒冷暴露が脳出血に影響するとの客観的データはなく、また、労働が何らかの関連をもっていることは推測できるものの、労働の如何なる要素が脳出血に関連しているのかについては、客観的分析ができていない。

以上のとおりであり、原告の本件脳出血は、本態性高血圧症が自然増悪して発症したものである。

(六)(1)  同(六)(1)は争う。

業務上の疾病に対しては、使用者が絶対的に補償責任を負うものであることからすると、当然のことながら、業務と疾病との関連について、業務が原因であることの一定の明確性が要求されることとなる。

およそ労働者に生じる疾病については、一般に多数の原因又は条件が競合しているわけであり、単にこのような広義の条件の一つとして業務が介在することを完全に否定し得るものは稀であると考えられる。

しかしながら、このような単なる条件関係の存在のみをもって業務上の疾病とするのは相当ではない。けだし、かかる考えによると、およそ労働者に発生した風邪、胃腸障害等、本来専ら業務以外の非職業的原因によるものと判断される疾病までもが、すべて補償の対象となることとなって、ひいては労働者災害補償制度の崩壊に繋がりかねないからである。

したがって、業務起因性があるといえるためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められることが必要であり、具体的には、業務が当該疾病に対し医学経験則上特定の業務危険を有していること又は当該疾病を発生させるに足ると納得し得る危険負荷のあったことが認められなければならないというべきである。

もっとも、右のような事情が当該疾病の唯一又は絶対的な原因であることの必要まではなく、業務以外の身体的、環境的又は日常生活上の他の原因と業務が競合して発症した場合であっても、客観的に業務が当該疾病の発症又は自然的経過を著しく超える増悪に対し相対的に有力な原因をなしたものと医学的に認められれば、相当因果関係が肯定されるものというべきである。

循環器系疾病(ここでは、業務上の負傷に起因するものを除く。)は、現代の医学知見によるも特定の業務との相関関係は認められず、その基礎となる動脈硬化等の血管病変等が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、もとより、かかる場合に業務起因性のないことは明白であるけれども、急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然経過を超えて急激に著しく増悪し、発症するに至った場合には、その発症に当たって業務が相対的に有力な原因をなしたと考えられる。

したがって、循環器系疾病の業務起因性の判断に当たっては、個々の事案について、血管病変等がその自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症するに至ったものであるか否かを慎重に判断しなければならない。その認定基準として、従来、「業務に関連する突発的又はその発生状態を時間的、場所的に明確にし得る出来ごともしくは特定の労働時間内に特に過激(質的又は量的に)な業務に就労したことによる精神的又は肉体的負担が当該労働者の発病前に認められること」(昭和三六年二月一三日付け基発第一一六号労働基準局長通達)が掲げられていたが、右認定基準は改定され、業務上の認定のためには次の二要件が必要とされることになった(昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」)。

「1 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。

2  過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。」

新認定基準は、旧認定基準を緩和したものではあるけれども、基本的な考え方において何ら変化はない。けだし、循環器疾病につき業務上と判断するためには、基本的には、急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然経過を超えて急激に著しく発症するに至ったものと認められることが必要であり、旧認定基準と新認定基準とは、その点において何ら変わっていないからである。

(2) 同(2)、(3)は争う。

前記のとおり、本態性高血圧症の原因は、現在の医学では不明であり、また、前記のとおり疫学データによると、タクシー運転手は高血圧症を示す者又は脳血管疾患・心疾患による死亡者の割合において、他の職種と比較しても平均的な数値にとどまっていることからして、交番制で夜勤を伴うタクシー乗務を長らく継続していたからといって、そのことから直ちに本態性高血圧症に罹患し易いとはいえないことが明らかである。

右のとおり、医学経験則上、一般的にタクシーの運転乗務と高血圧症及び脳出血との相関関係は認められないにもかかわらず、原告には本態性高血圧症の既往症があったところ、原告は、昭和四九年五月に本件追突事故に遭遇したものの、その後の治療により後遺症を残さずに回復して、昭和五〇年二月二一日に職場復帰し、同年六月一三日からは他の同僚と全く同様の勤務を続けていたものであり、かかる勤務自体、原告にとって負担となるものではなく、また、本件脳出血の発症前の一週間に(更には三か月遡っても)通常業務以上の過重負担は全くなかったのであるから、本件脳出血は、基礎疾病として原告のもっていた本態性高血圧症が、たまたまタクシー乗務中に自然増悪して脳出血を来したことによるものであって、業務は、本件脳出血の発症に対する相対的に有力な原因とはなっておらず、業務起因性はないというべきである。

なお、脳は、脳脊髄液の中に浮揚しており、脳出血が始まってから、ある程度の能動的又は受動的運転がなされたとしても、それ故に出血量が増加することはなく、出血量は、脳出血が始まった部位、血管の太さ、その時点の血圧によって決定される。したがって、本件事案において、原告が脳出血後に約一〇分間運転を継続しているが、このことは、医学上本件脳出血の発症ないし増悪には寄与していないものと認められるのであるから、業務上疾病と認定することの根拠とはなり得ないものである。

3  同3は争う。

前記のとおり、本件脳出血については、業務起因性が認められないのであるから、被告がこれにつき労災保険法による療養補償給付を支給しないとした本件処分は適法であり、その取消しを求める原告の請求は失当である。

第三証拠<略>

理由

第一本件処分の存在について

請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。

第二本件処分の違法性の有無について

原告は、原告の本件脳出血は「業務上」の疾病であるから本件処分は違法である旨主張する。

ところで、労働基準法八章は、労働者が業務上疾病にかった場合等における使用者の災害補償の義務を規定し、これを受けて労災保険法は、業務上の事由による労働者の疾病等に対して保険給付を行う旨規定する(同法一条、二条の二、七条、一二条の八等)ところ、右業務上の事由があるというためには、当該疾病が業務に起因していること(業務起因性)が必要である。そして、右業務起因性があるというためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係があることを要し、労働者に基礎疾病が存在する場合、業務がその基礎疾病と共働原因となって当該疾病を発症させたと認められるときには右相当因果関係があると解するのが相当である。そこで、以下、かような観点に基づき、本件脳出血の業務起因性を検討することとする。

一  原告の職歴・地位等

<証拠略>を総合すれば、原告は、昭和六年一二月二二日生れの男子(本件脳出血の発症時四三歳)であり、昭和二四年から昭和三〇年までの間製造業の従業員をした後、昭和三一年五月から昭和三二年一月まで訴外株式会社実用タクシーに、昭和三二年一月から昭和三三年二月まで太陽自動車株式会社に、タクシー運転手として雇用され、昭和三六年一月二一日から本件脳出血の発症後の昭和五一年六月一二日まで訴外会社にタクシー運転手として雇用されたことが認められる(このうち、原告の年齢、原告主張の時期訴外株式会社実用タクシーにタクシー運転手として雇用されたこと、原告主張の時期訴外会社にタクシー運転手として雇用されたことは、当事者間に争いがない。)。

右認定の事実によれば、原告は、本件脳出血の発症時までの間、約一五年余の期間にわたり、タクシー運転手の業務に従事してきたことが認められるところ、<証拠略>を総合すれば、昭和四九年五月一三日の後記の本件追突事故前、病気のため入院したり、とりたてて健康上の異常を意識したりしたことはなかったことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

二  原告の勤務状況等

1  訴外会社の勤務体制

請求の原因2(二)(1)は、当事者間に争いがない。

しかして、<証拠略>によれば、訴外会社の基本勤務体制による所定労働時間(労働時間は、一週四八時間、一日一六時間となる。)は、労働省による「自動車運転者の労働時間の改善基準」(昭和四二年二月九日付け基発一三九号労働基準局長通達)で示された範囲内の労働時間であるところ、右基本勤務体制は、昭和五〇年当時、訴外会社を含むタクシー業界において従前から行われていた一般的な勤務体制であったことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

2  本件追突事故までの勤務状況

請求の原因2(二)(2)は、当事者間に争いがない。

3  本件追突事故及びその後の治療経過

(一) 前記2の当事者間に争いのない事実、<証拠略>を総合すれば、本件追突事故(昭和四九年五月一三日午前一時一五分ころ発生)の内容は、原告が、同僚である訴外山口末太郎ほか一名とともに三台の自動車で松前町を経由して札幌市まで営業運転し、同市からの帰途、函館市桔梗町国道五号線路上で、訴外山口末太郎の運転車に後方から追突されて自車が側溝に転落したというものであったところ、このため、原告は、同日市立函館病院に入院し、「右胸部打撲、左下腿部擦過創、口腔内挫傷」との診断を受け、翌一四日函館中央病院に転院して「全身打撲、舌挫創、左下腿擦過傷」との診断を受けて同月三一日退院し(合計入院日数一九日)、その後、同年六月五日から昭和五〇年二月二八日まで函館中央病院に通院して治療を受けたこと、同病院における治療中、原告は、上下肢、項部、肩部などの疼痛や腰部痛の主訴をなし、対症療法を施行され、腰部痛に対しては軟性コルセット装着の手当を受けるなどしたが、前同日、担当医訴外山根繁により「整形外科的には後遺症なし。」として、「治癒」の診断を受けたこと(なお、右同日の函館中央病院のカルテには「自覚良好」、「全身続発症 マイナス」等の趣旨の記載がなされている。)、以上の事実が認められ(原告の前記各病院への入退院、通院の大要並びに右各病院での「右胸部打撲、左下腿部擦過創、口腔内挫傷」及び「全身打撲、舌挫創、左下腿擦過傷」との前記各診断の点は、当事者間に争いがない。)、右認定を左右する証拠はない。

(二) ところで、原告は、本件追突事故後、業務に復帰してからも、腰痛、めまい、耳鳴り、舌のもつれ、「蜘蛛の巣のような、綿ボタンのようなものが目に映る」、「雨の降る日に首の後がぼうとした感じがある」、「頭がボーッとする」、「手に力が入らない」、「物が二重に見える」などの自覚症状が時々感じられ、健康に不安感を抱いていたとし、右自覚症状が続くため、不安も重なり、心配のため、昭和五〇年五月二三日上京して日本大学医学部付属板橋病院で診察を受けた等と主張し、右自覚症状の主張は、本件追突事故による後遺症の存在を主張するものと解されるところ、<証拠略>の結果中には、右主張内容に沿う部分が存在する。

しかしながら、<証拠略>を総合すれば、原告は、昭和五〇年三月五日付けで、被告に対し、本件追突事故による障害補償給付等の請求をしたところ、原告は右障害事由として舌の異常(舌の味覚異常及び発声時舌先部の異常感を意識する程度の障害)のみを挙げ、前記主張の如き自覚症状の点についてはこれを障害事由として何ら掲記することなく右請求をなしたものであること(その後、右請求は、障害補償区域に達しないとして被告により同年四月二四日付けで不支給処分を受けたこと)が認められ、更に、<証拠略>を総合すれば、原告は、昭和五〇年五月二三日、函館市から上京し、東京都内にある日本大学医学部付属板橋病院耳鼻咽喉科外来まで赴いてこれに受診したものであるところ、同病院で記入を求められた予診票には、具合が悪い箇所として、「舌」の選択肢に「○」を付したほかは、「耳鳴り」や「めまい」の選択肢には「○」を付さず、同票上選択肢として掲記された以外の症状の存否を尋ねる記載欄「その他の症状の方」との欄も空欄にしたままにし、同票末尾にある記載欄「これから診察をうけるにあたって御希望または上記の事項の他に何かありましたら御記入下さい」との欄には「昭和四九年五月一三日頃、函館市桔梗町で交通事故を起して舌を切ったため」とだけ記入し、外来診察における問診の際にも、担当医に対し舌の味覚異常を訴えたのみであり、かように、原告は、同病院における受診に当たって、前記主張の種々の自覚症状の一つをも、これを申し出ていないこと、以上の各事実が認められ、<証拠略>中、これら認定の一部に反するかに見える部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

そして、これらの認定事実と、前記(一)認定のとおり、昭和五〇年二月二八日原告が函館中央病院で「整形外科的には後遺症なし。」として「治癒」の診断を受けた等の事実とを併せ鑑みると、昭和五〇年二月二八日以降において、原告が本件追突事故の後遺症たる前記主張の如き自覚症状を有していたとする前掲各証拠はにわかに採用し難く、他に原告が前同時期以降右各自覚症状を有していたことを認めるに足りる的確な証拠は存せず、結局、本件追突事故による傷害は、後遺症の点も含めて(但し、舌の異常の点は除く。)、前同日には治癒していたものと認めるのが相当である。

4  復帰後本件脳出血発症時までの原告の勤務状況

(一) 昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までの勤務状況

請求の原因2(二)(3)は、当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、<証拠略>を総合すれば、原告は、昭和五〇年二月二一日、訴外会社のタクシー運転業務に復帰したが、同日から同年六月一二日までの四か月の期間は、(第一日)終車上り勤務、(第二日)勤務明け、(第三日)終車上り勤務、(第四日)勤務明け、(第五日)終車上り勤務、(第六日)勤務明け、(第七日)公休日、という拘束五四時間実働四八時間週休制の勤務体制が訴外会社によって組まれ、これを原則とする勤務形態をとった(但し、同年五月二日を第一日とし同月八日を第七日とする週については、同月二日に泊り勤務があり、この週については、基本勤務体制による勤務をした。)ところ、右勤務形態は、泊り勤務のある基本勤務体制(拘束六〇時間実働四八時間週休制)より拘束時間が一週間で六時間少ない勤務形態で、訴外会社は復帰直後の原告の身体を勤務に慣らす目的で、負担のより軽減された右勤務体制を組んだものであったこと、この間、原告は、訴外会社を欠勤する等体調に特段のことがないままタクシー運転業務を継続したこと(なお、原告は、前記のとおり昭和五〇年五月二三日には上京して日本大学医学部付属板橋病院を受診したが、同日前後の原告の勤務状況を見ると、同月二二日が公休日に当たっているほか、同月二三日及び二四日の両日は休暇となっているところ、時期の点から見て、右公休日及び二日間の休暇は、前記病院への受診及びその前後の日程に充てられたものであることが推認される。)、以上の事実が認められ、<証拠略>中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

このように、昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までは、原告は、基本勤務体制に較べて拘束時間が少ない勤務形態を原則とし、本件追突事故による入通院前の勤務形態に対しよりゆるやかな勤務内容であったもので、前記3(二)のとおり、本件追突事故による傷害は、同年二月二八日には、後遺症の点を含めて(但し、舌の異常を除く。)治癒していたことも勘案すると、本件追突事故以来九か月余の間隔を置いた上でのタクシー運転業務の就労であったといっても、右勤務内容が原告にとって過重負担とはいえないと認めるのが相当であり、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

(二) 昭和五〇年六月一三日以降本件脳出血の発症時までの勤務状況

(1) 請求の原因2(二)(4)は当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、<証拠略>を総合すれば、原告は、訴外会社側の意向を受け容れ、昭和五〇年六月一三日から平常の勤務形態である基本勤務体制を原則とする勤務形態をとるようになったが、右基本勤務体制では一週間に一回泊り勤務があり、他の二回が終車上り勤務であるところ、原告は、前同日から本件脳出血の発症日の同年一〇月二〇日までの間、右基本勤務体制を原則とするタクシー運転業務に従事し、この間も欠勤する等体調に特段のことがなく推移したこと(なお、原告は、九月一五日の公休日を挟み、一三日から一九日まで六日間の休暇をとっているが、これは、その間、母親の三三回忌出席のため、栃木県所在の実家に帰省したものである。)、このうち、同年七月以降の原告の勤務状況は、別紙1のとおりであること、以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

そこで、以下において、右期間のうち、本件脳出血発症の約三か月余前である昭和五〇年七月以降((2))、及び、本件脳出血発症前一週間((3))、の原告の勤務状況を更に検討する。

(2) 昭和五〇年七月一日以降同年一〇月一九日までの勤務状況

別紙1により、各月別の原告の勤務状況を検討すると、泊り勤務・終車上り勤務の実施状況については、七月は泊り勤務四回、終車上り勤務一〇回(計一四回)、八月は泊り勤務一回、終車上り勤務一二回(計一三回)、九月は泊り勤務四回、終車上り勤務六回(計一〇回)、一〇月は泊り勤務一回、終車上り勤務七回(計八回)で、各月とも勤務回数が特に多いわけではなく、このうち、泊り勤務回数は、最高が七月の四回であり、他方、最低の八月は一回しかなく、一〇月については一九日までに一回の泊り勤務があったのみであること、出勤・退社時刻は、泊り勤務、終車上り勤務に応じ各所定勤務時間に見合ってほぼ一定であること、労働時間(実働時間)は、七月は合計二一八時間、八月は合計二〇二時間、九月は合計一五九時間、一〇月は合計一二四時間で、この間の各勤務一回の労働時間は一六時間の範囲内(一四時間ないし一六時間)であること、走行距離は、七月は合計走行距離が四〇一八キロメートル、勤務一回の最高走行距離が三二四キロメートル、最低走行距離が二四六キロメートル、八月は前同合計が三九四七キロメートル、前同最高が三七九キロメートル、前同最低が二四六キロメートル、九月は前同合計が三〇二三キロメートル、前同最高が三三七キロメートル、前同最低が二八一キロメートル、一〇月(一九日まで)は前同合計が二四二一キロメートル、前同最高が三二八キロメートル、前同最低が二七七キロメートル、で、各月毎の一日(暦日)当たり平均走行距離を見ると、七月が一二九キロメートル、八月が一二七キロメートル、九月が一〇〇キロメートル、一〇月が一二七キロメートルで、七、八、一〇月の三か月はほぼ同水準の走行距離を示し、九月がこれを大きく下回る走行距離にとどまっていること、以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

ところで、原告は、既に長いタクシー運転歴をもち、前記1判示の事情の下で右基本勤務体制に十分適応していると推認されるところ、以上認定の各指標に鑑みると、七月一日以降一〇月一九日までの勤務状況について、原告にとって過重な負担であったと見られるような点は特段看取されず、右のうちでも九月の勤務内容は、右期間中の他の時期に比較し、殊にゆるやかな負担であったといえる(原告は、九月に前記のとおり連続して休暇をとっており、このことが反映していることが明らかである。)。

なお、<証拠略>を総合すれば、別紙2は原告と同年代同職歴(昭和六年生れ、運転歴二三年一月)の訴外会社雇用の同僚運転手の同期間における勤務状況を示すものであることが認められ(右認定を左右する証拠はない。)、その点で、原告の勤務内容の負担の軽重を知るひとつの対照資料となり得るものというべきところ、別紙1、2により原告と右同僚運転手の勤務内容を比較すると、原告は、出勤日数、労働時間、走行距離等において、右同僚運転手より若干下回るかこれとほぼ同程度であることが認められ、右同僚運転手に比較しても負担が過重であるとは到底いえないことが明らかである。

以上を要するに、昭和五〇年六月一三日以降同年一〇月一九日までの勤務内容についても、原告にとって過重負担とはいえないと認めるのが相当であり、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。この点、<証拠略>によれば、原告は、昭和五一年三月八日、被告事務官に対し、「復職してから特に身体がだるいとゆう事は無く、運転以外の仕事をさせられた事も無い、かえって他の人より楽だったかもしれ無い。」と申述し、復帰後における勤務の過重負担を否定する趣旨を表明した事実が認められ、右勤務についての原告の現実の負担感はさようなものであったことが窺われる。

(3) 本件脳出血発症前一週間の勤務状況

請求の原因2(二)(5)は当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実及び前記認定にかかる別紙1のとおりの原告の勤務状況によれば、原告は、一〇月一三日の公休日の後、一四日の泊り勤務は午前八時一六分出勤、翌日午前七時三五分退社(労働時間一六時間)、一六日の終車上り勤務は午前八時三〇分出勤、翌日午前二時〇一分退社(前同一六時間)、一八日の終車上り勤務は午前八時二一分出勤、翌日午前二時〇九分退社(前同一六時間)という勤務をなし、一五日、一七日、一九日の勤務明けを経て一〇月二〇日に至っていることが認められるところ、別紙1による七月一日以降の原告の従前の勤務実績に照らし、一三日から一九日までの右一週間の期間の状況は、業務の態様や負担の程度において、特段の変化ないし負担の増大はなく、従前の状況と同様のものと認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

右のとおり、本件脳出血発症前一週間の期間について見ても、原告にとって従前と異なる過重負担であったとはいえない。

(三) 以上のとおりであり、業務に復帰後、本件脳出血の発症前日までの期間を通じ、訴外会社における勤務内容は、原告にとり過重負担であったとはいえない。

5  本件脳出血の発症当日の原告の勤務状況

(一) 請求の原因2(三)(1)ないし(3)は当事者間に争いがなく、同(4)については、原告が左手だけで運転を続行したとする点を除き、その余の事実は当事者間に争いがない。

(二) 右当事者間に争いがない事実、<証拠略>を総合すれば、原告は、一〇月二〇日、この日は当初の予定では公休日に当たっていたところ、交番上欠勤者があり、補充の運転手がいなかったため、訴外会社の求めに応じて終車上り勤務に就くことを承諾し、出勤したこと、当日平常の場合と同じく午前七時三〇分に訴外会社に出勤し所定の発車準備をしてからタクシー運転業務に入り、昼食、夕食を済ませて函館市内の営業運転を継続し、午後九時三〇分ころ、同市若松町の函館駅前で男の乗客二名を乗車させ、指示により上磯郡上磯町字七重浜追分の目的地に向かったこと、ところが、同日午後九時四〇分ころ、原告の自動車が同町字七重浜国道二二七号線大野新道に入り、函館本線踏切の直前にきたとき、突然右手がハンドルから離れ、ハンドルにのせるとまた力が抜けてハンドルから離れ、ハンドルを握れない状態となり、このころ、原告は、本件脳出血を発症したこと、この後、原告は、左手だけでハンドルを操作し、乗客から「運転を替わってやる。」との助言があったが、これを断って約一〇分間自ら運転を継続して目的地まで走行し、目的地で乗客から料金を受領して降車させ、そこで、無線で訴外会社に対し「身体具合が悪く病院を探して欲しい。」旨の連絡をとったが、その時右手の感覚がなくなり、同時に意識を失ったこと、当日の原告の走行距離は二七六キロメートルであったこと、以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

(三) そこで、右発症当日の勤務の負担程度の如何を検討すると、まず、前記のとおり、当日は、当初公休日の予定であったものを、訴外会社の求めに応じて終車上り勤務に就労したもので、これによれば、前記4(二)(3)判示のとおり、原告は、一四日を第一日とする一週間の基本勤務体制による勤務形態に従事し、一四日(泊り勤務)、一六日(終車上り勤務)、一八日(終車上り勤務)と就労してきたのであるから、その点で、二〇日当日の終車上り勤務への従事は、前日の一九日が勤務明けであった点を考慮しても、定型的な基本勤務体制に比較してより重い業務負担であったことは明らかである。しかし、<証拠略>及び前記認定にかかる別紙1のとおりの原告の勤務状況及び<証拠略>を総合すれば、このようないわば変則的な勤務形態への従事は、欠勤者が出る等の場合に訴外会社の運転手間において時折行われる措置であって、原告の場合、例えば、昭和五〇年六月二〇日から同月二八日までの勤務形態は、二〇日(泊り勤務)、二一日(勤務明け)、二二日(終車上り勤務)、二三日(勤務明け)、二四日(終車上り勤務)、二五日(勤務明け)、二六日(終車上り勤務)、二七日(勤務明け)、二八日(公休日)というものであり、また、同年八月一七日から同月二五日までの勤務形態は、一七日(終車上り勤務)、一八日(勤務明け)、一九日(終車上り勤務)、二〇日(勤務明け)、二一日(終車上り勤務)、二二日(勤務明け)、二三日(終車上り勤務)、二四日(勤務明け)、二五日(公休日)というものであったことが認められ、他方、このように基本勤務体制よりも重くなる勤務形態とは反対に、より軽減された勤務形態がとられる場合も認められる(原告の場合、例えば、八月二六日から九月一日までの一週間については、二六日(終車上り勤務)、二七日(勤務明け)、二八日(終車上り勤務)、二九日(勤務明け)、三〇日(終車上り勤務)、三一日(勤務明け)、九月一日(公休日)という勤務形態であり、基本勤務体制に従えば、二六日は本来泊り勤務になるところ、実際は終車上り勤務となっており、この点は、本件脳出血の発症日の二週間前に当たる一〇月七日から同月一三日までの場合にもいえることであって、七日(終車上り勤務)、八日(勤務明け)、九日(終車上り勤務)、一〇日(勤務明け)、一一日(終車上り勤務)、一二日(勤務明け)、一三日(公休日)という勤務形態であり、七日が本来泊り勤務になるところ、実際は終車上り勤務となっており、しかも、これらいずれの一週間についても、泊り勤務は一日も実施されていない。)のであって、前記認定のとおり長い運転歴を有する原告としては、このような変則的な勤務形態が時として起こり得ることに適応しているものと推測され、その点で、一〇月二〇日当日が終車上り勤務に振り替えられた事実自体、必ずしも、原告にとって過重負担であったとまではいえないものと認められる。

また、一〇月二〇日当日の本件脳出血の発症時期に至るまでの走行距離を見ると、別紙1のとおり二七六キロメートルと認められるところ、同表により他の勤務日における走行距離と比較した場合、想定される労働時間単位当たりの走行距離として、必ずしも特に長いといえないことが明らかである。

しかして、<証拠略>によれば、当日の業務負担の軽重については、原告も、昭和五一年三月八日、被告事務官の聴取に対して、「(本件脳出血の)発生当日は二万円程の収入で三〇〇キロメートル程走行していると思いますが、発病までは身体に異常は全く無く乗客も通常の日より少なく暇な方でした。」と述べ、本件脳出血発症前の身体の異常を否定し、かつ、繁閑の度合いにつき通常より暇な方であった旨説明していることが認められる。

以上のとおり、本件脳出血の発症当日の原告の勤務内容についても、原告にとって過重負担であったとはいえないものと認めるのが相当であり、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

三  原告の血圧の推移及び本件脳出血発症前における高血圧症の有無

1  原告の血圧の推移

<証拠略>を総合すれば、本件脳出血の発症前後の原告の血圧の推移については、本件追突事故後入院した市立函館病院における血圧測定では、昭和四九年五月一三日午前一時四五分が一二〇―八〇(上が収縮期血圧、下が拡張期血圧を示し、単位はミリメートル水銀柱である。以下、同じ。)、同二時二五分が一二〇―八〇、同三時五〇分が一五〇―一〇〇、同六時〇〇分が一三二―一〇〇、同一一時三〇分が一三八―八〇、午後六時三〇分が一五〇―一一〇、同八時三〇分が一五〇―九〇、一四日午前六時〇〇分が一一八―八〇、同年一一月八日青山外科胃腸科における血圧測定では一三〇―九〇、昭和五〇年四月一六日同所における血圧測定では一二六―八八、同年一〇月六日杉目循環器科内科クリニックにおける血圧測定では一六〇―一〇〇、本件脳出血の発症後入院した市立函館病院における血圧測定では、同月二〇日午後一一時〇〇分が一七〇―一三〇、二一日午前二時〇〇分が一四六―一〇〇、同六時〇〇分が一四六―一〇〇、同一〇時〇〇分が一八二―一二〇、同一一時三〇分が一六〇―一二二、午後二時〇〇分が一一〇―七四(麻酔下)、同六時〇〇分が一一〇―七八、同一〇時〇〇分が一三二―一〇四、二二日午前二時〇〇分が一五二―一一四、同六時〇〇分が一五〇―一〇二、同一〇時〇〇分が一六〇―一一〇、午後二時〇〇分が一六〇―一〇〇、同六時〇〇分が一四〇―一〇八、同一〇時〇〇分が一六〇―一一〇、二三日午前二時〇〇分が一三八―一〇〇、同六時〇〇分が一六〇―一〇〇、同一〇時〇〇分が一二〇―記載なし、午後二時〇〇分が一四〇―九八、同六時〇〇分が一四六―一〇〇、二四日午前零時〇〇分が一五八―一一二、同六時〇〇分が一五〇―一〇〇、同午後零時〇〇分が一三二―八〇、同六時〇〇分が一四〇―八〇、二五日午前零時〇〇分が一五二―一一〇、同五時四五分が一九二―一四〇、同六時三五分が一七二―一三二、午後零時〇〇分が一五〇―一一〇、同六時〇〇分が一五四―一二〇、二六日午前零時〇〇分が一二二―九〇、同六時〇〇分が一六〇―一一〇、午後零時〇〇分が一四八―一〇〇、同六時〇〇分が一三八―九二、二七日午前零時〇〇分が一三二―一〇〇、同六時〇〇分が一四四―一〇四、午後零時〇〇分が一三二―一〇〇、同六時〇〇分が一四〇―七八、昭和五一年二月一二日と昭和五二年二月一七日の共愛会病院における血圧測定では、それぞれ、一二〇―九〇、一三四―九〇、以上のとおりであることが認められる(このうち、昭和四九年五月一三日、一四日の市立函館病院における血圧測定結果の大要、同年一一月八日、昭和五〇年四月一六日両日の青山外科胃腸科における血圧測定結果、昭和五〇年一〇月六日の杉目循環器科内科クリニックにおける血圧測定結果は、当事者間に争いがない。)。

2  本件脳出血発症前における高血圧症の有無

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 高血圧の基準については、WHO基準が一般に用いられており、これによれば、収縮期血圧一六〇以上、拡張期血圧九五以上が高血圧とされ、収縮期血圧、拡張期血圧のいずれか一方でも高血圧値を示せば高血圧に当たり、収縮期血圧一三九以下、拡張期血圧八九以下が正常血圧とされ、正常血圧と高血圧の中間値を示すものが境界域(境界域高血圧)とされている。

(二) 高血圧の分類については、腎、副腎、神経系などに血圧上昇を招く原疾患があるときは、高血圧は原疾患の一症状であり、これを二次性高血圧、続発性高血圧又は症候性高血圧といい、ほかに血圧上昇を来す原疾患がなく、高血圧自体が疾患であるもの(換言すれば、原因が不明であるもの)を本態性高血圧(症)又は原発性高血圧(症)という。

(三) 本態性高血圧症は、初期には血圧は動揺性であり、正常血圧と高血圧との間を変動し、中には長期間にわたり動揺性のままの場合もあり、自覚症状については、元来、無症状の疾患であり、特有の自覚症状はないと考えた方がよい。そして、本態性高血圧によって脳出血が発症するほどの小動脈瘤が形成されるまでには、五年、一〇年という長期間を要する。

(四) 原告の場合を見ると、前記1のとおり、その血圧は、顕著な高血圧値を示すことはなく、正常血圧を示すこともある一方、昭和四九年五月一三日の血圧(収縮期血圧の最高が一五〇、拡張期血圧の最高が一一〇)、昭和四九年一一月八日の血圧(一三〇―九〇)、昭和五〇年一〇月六日の血圧(一六〇―一〇〇)、昭和五〇年一〇月二〇日から同月二七日までの血圧(収縮期血圧の最高が一九二、拡張期血圧の最高が一四〇)、昭和五一年二月一二日の血圧(一二〇―九〇)、昭和五二年二月一七日の血圧(一三〇―九〇)については、総じて、正常血圧からやや高いレベルで推移し、動揺を繰り返しながらも境界域血圧、更には高血圧に至る動きを示しており、前記の本態性高血圧症の血圧の動揺性の特徴に合致すること、また、本件脳出血における出血の部位を見ると、左側視床線状体内側枝の小動脈からの出血と特定することができ、これは本態性高血圧症による外側性脳出血の好発部位に当たること、以上の点から、原告は、本件追突事故以前から既に本態性高血圧症に罹患していたといえる。しかし、それ以前の何時からということについては、必ずしも明らかではない。

なお、本件脳出血の発症時から五年前後経過した後である昭和五六年以降の血圧測定結果によれば、原告の血圧は正常値を示すことが多くなっているが、本態性高血圧症による脳出血の発症後、患者の血圧が降下して正常値のレベルに復帰することは経験上しばしば見られるので、この事実は、原告が過去に本態性高血圧症であったことと矛盾するものではなく、更に、昭和五六年六月、函館稜北病院における原告に対する眼底検査の結果、軽度の硬化(Scheie分類I型)があるもののほぼ正常に近い、との診断結果が出ているが、眼底検査の所見は高血圧の補助的診断法に過ぎず、これによって本態性高血圧症を否定する資料とはならない。

以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

3  以上のとおりであるから、原告は、本件脳出血の発症前、本態性高血圧症の基礎疾病を有していたことが明らかである。

四  脳出血発症の機序及び本件脳出血の成因等

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  脳出血とは、病理解剖的に大脳、小脳及び脳幹の実質内に出血した状態で、その原因としては、ミリカンの分類が一般に知られており、これは、高血圧性脳内出血ほか一三の疾患を挙げているところ、通常、ただ「脳出血」と呼ぶ場合は高血圧性脳内出血を指し、高血圧性脳内出血の成因については、現在では、その直接原因は、脳内小動脈の血漿性動脈壊死(血管壊死)に基づく脳内小動脈瘤の破裂と考えられている。

2  脳内小動脈瘤が好発するのは、外直径一〇〇ないし三〇〇ミリミクロンの動脈で、この程度の太さの動脈は、他の太さの動脈に比して中膜が薄く、四〇歳以上の高血圧例では、高頻度に中膜筋細胞の変性、壊死が起こり、その内径は軽度に拡張し、内膜は繊維性に肥厚し、次いで、この部の内皮細胞の接合部が離開して動脈壁中に血漿成分の浸潤が始まり、その結果、内膜は次第に融解、壊死を起こし、血管内圧によって壁は進展、断裂して動脈瘤を形成し、このような動脈瘤が大きくなると、その壁は進展、断裂しながら薄くなり、遂に出血を始める。

3  血管壊死、ひいて脳出血を来すリスクファクター(危険因子)としては、一般に高血圧、心臓疾患、糖尿病、高脂血症、脱水(過度の飲酒による脱水を含む。)が上げられるほか、遺伝的要因、食生活の偏り(食塩の取り過ぎや蛋白質、脂肪の摂取量の異常過少)等が考えられているが、このうち、個々のリスクファクターを分析すると、高血圧など血液、循環系に依存するものと、血管壁の先天的な構造の欠陥など血管内皮の表面構造に異常のある場合と、その混合型の三つに大別され、また、脳出血の危険因子と高血圧の危険因子は相当程度重なっている。

いずれにしても、脳出血のリスクファクターとしては、高血圧が最も重要であり、脳出血の原因の約九〇パーセントを占める。

4  いくつかの疫学調査によって、脳出血の発生率及び高血圧との関連については明確な地域差が認められ、また、統計的にも各職種間で有意な差を示すことから、労働、精神的緊張、寒冷暴露等が脳出血と何らかの関連性を持っていると考えられており、種々の議論がなされているものの、相互の関連性を確認する実験等の成果がなく、またそれらのどのような要素がどのように影響するのかも明らかでないため、これらは、脳出血のリスクファクターとして、一般的に認められるに至っていない。

このうち、労働については、労働(業務)の内容が脳出血のリスクファクターと何らかの関連性を有していることは明らかであるが、現在のところ、労働の内容の如何なる要素がどのように右リスクファクターと関係しているかの分析は不十分である。

5  他方、何らかの原因で生じた血管病変(小動脈瘤)が破裂する(脳出血が発症する)には、破裂するための要因があると想定され、これを、一般に引き金因子と呼んでおり、異常な興奮(驚愕、恐怖、緊張等を含む。)や物理的な強い衝撃が引き金因子になることがあり得るとする専門家が存在するが、引き金因子に当たる要因が見当たらないまま脳出血が発症したと考えられる症例もあり、現在のところ、学会で認められた引き金因子は存在しない。

6  タクシー運転業務と脳出血との関連性の有無を見ると、タクシー運転手に脳出血の発生率が高いことを医学的に確定しうる調査、研究はない上、タクシー運転業務が他の職種に比較して、脳出血の原因となると考えられる特殊な労働形態、労働内容であるとする医学的根拠もなく(タクシー運転業務が、他の職種に比較して、特に、深夜にわたる高密度集中労働であるとか、神経緊張と精神的ストレスの状態に置かれ易い、とはいえない。)、タクシー運転業務それ自体が一般的に脳出血のリスクファクター又は引き金因子となるということはできない。

7  原告の本件脳出血の成因については、前記のとおり、原告は本件脳出血の発症前に本態性高血圧症の疾病を有していたところ、本件脳出血における出血の部位は、本態性高血圧症による脳出血の好発部位である左側視床線状体内側枝の小動脈であったから、本態性高血圧症の増悪によるものであり、本件脳出血は、本態性高血圧症により右部位の小動脈瘤が破裂して生起したものである。したがって、「一過性高血圧症による脳出血」その他の成因は考えられない。

以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。なお、原告は、タクシー運転労働の問題性及びその特徴として請求の原因2(四)のとおり主張し、タクシー運転手は職業的ストレスにより、循環器疾患の基礎疾病を徐々に用意し、あるいは促進しつつあると考えられ、タクシー運転手に発生した循環器疾患を運転条件と全く関係なく発生したとする積極的根拠を見出すことは容易ではないとし、<証拠略>中には右原告の主張に沿う部分があるが、これらは、いずれも根拠が曖昧で、推論が的確とはいい難く、採用するに由ないものというべきである。

5 本件脳出血発症後の運転継続と症状への影響の有無

前記のとおり、原告は、本件脳出血発症後、約一〇分間、運転を継続したところ、右運転継続が原告の症状増悪の影響を与えたか否かを検討すると、<証拠略>を総合すれば、かつては、脳出血発症の急性期には決して動かしてはならないとされ、絶対安静がこの場合の通念となっていたものの、その後の研究により、急性期移送の安全性が明らかにされてからは、脳出血治療の成績が大きく向上するに至ったこと、脳は、重量約一三〇〇グラムであるが、脳脊髄液中に浮揚しており、この状態で測ると約五〇グラム程度の重量しかなく、この浮揚性によって衝撃等から保護されていること、血腫の大きさを決定する要因としては、出血した血管の太さ、出血した部位、血圧の三つであり、現在では、通常の作業、体動、移送等によって血腫が増大することはないことが一般に認められていること(なお、右の要因の一つである血圧は、相当大きな血圧変動を指しており、通常の自動車運転等に伴う血圧変動程度のものではないこと)、医学的には、原告が本件脳出血発症後約一〇分にわたって運転を継続し得た事実自体が、原告の血腫の増大が比較的ゆっくりと進展したことを示しており、原告の本件脳出血の症状は、その予後も含めて、脳出血としては比較的軽いものであって、本態性高血圧による脳出血の症状として一般的なものであること、したがって、原告の前記運転継続は、本件脳出血の症状を増悪させるなどその症状に対して影響を与えた可能性は否定されること、以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

右のとおり、本件脳出血発症後の約一〇分間の運転継続は、本件脳出血の症状を悪化させたということはできない。

六  本件脳出血における業務起因性の有無

そこで、以下において、本件脳出血における業務起因性の有無を検討する。

1  まず、前記判示三、四によれば、原告は、本件追突事故以前から、既に、本態性高血圧症の基礎疾病を有しており、本件脳出血は、この本態性高血圧症の増悪により、脳内の左側視床線状体内側枝の小動脈瘤が破裂して生起した、というものである。

そして、脳出血と労働の関係を見ると、労働(業務)の内容が脳出血のリスクファクターと何らかの関連性を有していることは明らかであるが、現在のところ、労働の内容の如何なる要素がどのように右リスクファクターと関係しているかの分析は不十分である。脳出血を発症させる引き金因子については、異常な興奮(驚愕、恐怖、緊張等を含む。)や物理的な強い衝撃が引き金因子になることがあり得るとする専門家が存在するが、現在のところ、学会で認められた引き金因子は存在しない、なお、タクシー運転業務それ自体が一般的に脳出血のリスクファクター又は引き金因子となるということはできない、というものである。

そうすると、本態性高血圧症の増悪により脳出血が発症する場合、業務の内容の如何なる要素がどのようにリスクファクターと関係しているかが医学的には不明であることとなるけれども、そこでは、脳出血の発症に当たって、業務がおよそ無関係であるとしているわけではなく、前記認定に照らして考えるに、業務が、当該労働者にとって(肉体的又は精神的に見て)過重負担であると認められる場合には、如何なる機序によるかの点はこれを明確にできなくても、経験則上、右業務が脳出血の発症について増悪要因として作用したものと推認することが相当といえる。

要するに、業務が当該労働者にとって過重負担である場合において、右業務遂行中に脳出血が発症したとすれば、右業務が、当該労働者の有する基礎疾病たる本態性高血圧症とともに、右脳出血発症の共働原因となったものと見ることができ、この場合において、右業務と脳出血の発症との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。

2  しかるに、前記判示二のとおり、本件については、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件脳出血の発症時まで約一五年余の期間タクシー運転手の業務に従事してきたところ、本件追突事故時まで、病気のため入院したり、とりたてて健康上の異常を意識したことはなかった。

昭和四九年五月一三日本件追突事故に遭い、「右胸部打撲、左下腿部擦過創、口腔内挫傷」等の診断を受けて入院し、退院後も通院治療をしたが、昭和五〇年二月二八日、後遺症の点も含めて(但し、舌の異常の点を除く。)、治癒した。

(二) このような事情の下で、原告は、本件追突事故から九か月余の間隔を置いて昭和五〇年二月二一日に訴外会社に復帰し、同日からタクシー運転業務に就いたが、同年六月一二日までは、訴外会社により身体を勤務に慣らす目的で組まれた、負担のより軽減された勤務形態、すなわち本件追突事故時まで従事していた基本勤務体制より拘束時間が一週間で六時間少なく泊り勤務のない勤務形態で、業務に従事し、この間、欠勤する等体調に特段のことがなく推移した。

(三) 次いで、昭和五〇年六月一三日から、訴外会社の意向を受け容れ、平常の勤務体制である基本勤務体制を原則とする勤務形態をとるに至ったが、この間も欠勤する等体調に特段のことがなく、本件脳出血時まで推移したところ、右期間中、同年七月一日以降一〇月一九日までの勤務状況を見ると、泊り勤務、終車上り勤務の実施状況については各月ともこれら勤務回数が特に多いわけではなく、出勤・退社時刻は右勤務形態に応じてほぼ一定であり、各勤務毎の労働時間は一六時間の範囲内(一四時間ないし一六時間)であり、また、走行距離についても、一日(暦日)当たり平均走行距離によれば、七、八、一〇月の各月ともほぼ同水準の走行距離を示し、九月が連続休暇(母親の三三年忌出席のため栃木県所在の実家に帰省したもの)でこれを大きく下回る水準にとどまっている等の状況であり、なお、同年代同職歴の同僚運転手の実績と比較しても、出勤日数、労働時間、走行距離等において、これを若干下回るかほぼ同程度である。

(四) 右期間のうち、本件脳出血前一週間の勤務状況を見ても、七月一日以降の原告の従前の勤務実績に照らし、業務の態様や負担の程度において、特段の変化ないし負担の増大はなく、従前の状況と同様のものであった。

(五) 更に本件脳出血の発生当日の原告の勤務状況を見ると、当日は当初の予定で公休日とされていたのを、訴外会社の求めに応じて終車上り勤務に就労したもので、この点は、定型的な基本勤務体制に比較してより重い業務負担であったといえるが、かかる変則的な勤務形態への従事は欠勤者が出る等の場合に訴外会社の運転手間で時折行われる措置で、このように基本勤務体制より重くなる勤務形態とは反対により軽減された勤務形態がとられる場合(例えば、昭和五〇年八月二六日から九月一日まで及び一〇月七日から一三日までの各一週間の場合)も含めて、長い運転歴を有する原告としては、かかる変則的な勤務形態が時として起こり得ることに適応しているものと推認され、その点で、一〇月二〇日当日が終車上り勤務に振り替えられた事実自体、必ずしも、原告にとって過重負担とまではいえず、その他当日の勤務状況を見ると、特段他の勤務日と異なる事情はなく、むしろ、後日原告の説明するところによれば、当日は通常より暇な方であったといえる。

(六) 以上のとおりで、復帰後本件脳出血発症時までの原告の勤務状況を見ると、昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までの期間、同月一三日から本件脳出血の発症時までの期間、本件脳出血の発症当日、これらいずれについても、勤務内容が原告にとって過重負担であるとはいえない。

3  以上によれば、本件脳出血については、原告の業務が基礎疾病たる本態性高血圧症と共働原因となってこれを発症させたと見ることはできず、結局、本件脳出血は、本態性高血圧症の自然増悪により発症したというほかないものである。したがって、原告の業務と本件脳出血の発症との間に相当因果関係があると認めることはできないというべきである(なお、本件脳出血の発症後の約一〇分間の運転継続が本件脳出血の症状を悪化させたとはいえないことは前記認定のとおりであるから、この点についても、業務と本件脳出血との間の相当因果関係を肯定する根拠とならない。)。

七  まとめ

以上の次第で、原告の本件脳出血は「業務上」の疾病であるとする原告の主張は失当に帰し、本件脳出血について業務起因性が認められないとしてなされた本件処分に違法はない。

第三結語

よって、本件処分の取消しを求める本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 福岡右武 滝澤雄次 井上秀雄)

別紙1

昭和50年7月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

7/1

8.06

(時間)

15.09

km

323

2

1.15

3

8.28

4

1.10

14

290

5

公休

6

8.10

16

322

7

8.30

8

8.14

16

284

9

2.30

10

8.16

16

246

11

2.30

12

公休

13

8.15

16

324

14

8.30

15

8.14

16

287

16

2.30

17

8.12

16

273

18

2.30

19

公休

20

8.13

16

233

21

8.30

22

8.30

16

288

23

8.30

24

8.18

16

280

25

2.30

26

公休

27

8.12

15

308

28

1.20

29

8.18

15

275

30

1.00

31

8.15

15

285

(合計)

218

4,018

昭和50年8月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

8/1

1.00

(時間)

km

2

公休

3

8.13

16

379

4

3.30

5

8.10

16

306

6

2.30

7

8.10

16

312

8

2.30

9

公休

10

8.10

16

342

11

8.30

12

8.18

16

332

13

2.30

14

8.10

16

323

15

2.30

16

公休

17

8.10

15

334

18

1.50

19

8.13

15

281

20

1.00

21

8.30

15

250

22

1.30

23

8.10

16

246

24

2.30

25

公休

26

8.20

15

249

27

1.35

28

8.10

15

287

29

1.15

30

8.12

15

316

31

1.25

(合計)

202

3,947

昭和50年9月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

9/1

公休

(時間)

km

2

8.11

16

306

3

8.30

4

8.14

16

302

5

2.30

6

8.13

16

302

7

2.30

8

公休

9

8.17

16

281

10

7.30

11

8.30

16

292

12

2.30

13

休暇

14

休暇

15

公休

16

休暇

17

休暇

18

休暇

19

休暇

20

8.00

16

289

21

2.30

22

公休

23

8.22

16

282

24

8.30

25

8.17

16

300

26

2.30

27

8.15

15

332

28

1.00

29

公休

30

8.26

16

337

(合計)

159

3,023

昭和50年10月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

10/1

8.24

(時間)

km

2

8.21

15

277

3

1.24

4

8.18

15

319

5

1.46

6

公休

7

8.10

15

284

8

1.19

9

8.15

15

328

10

1.45

11

8.14

16

319

12

2.30

13

公休

14

8.16

16

309

15

7.35

16

8.30

16

300

17

2.01

18

8.21

16

285

19

2.09

20

7.30

276

(合計)

124

2,697

別紙2

昭和50年7月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

7/1

2.30

(時間)

km

2

公休

3

7.42

16

291

4

7.30

5

7.40

16

319

6

2.30

7

7.50

16

319

8

2.30

9

公休

10

7.40

16

291

11

8.30

12

7.50

16

350

13

2.30

14

7.40

16

272

15

1.45

16

公休

17

7.40

16

300

18

8.30

19

7.40

16

292

20

2.30

21

7.38

16

287

22

2.30

23

公休

24

7.40

16

292

25

8.30

26

7.40

16

333

27

2.30

28

7.45

16

303

29

2.30

30

公休

31

7.45

16

327

(合計)

208

3,976

昭和50年8月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

8/1

7.30

(時間)

km

2

7.38

16

359

3

2.30

4

7.40

16

315

5

2.30

6

公休

7

7.40

16

282

8

8.30

9

7.45

16

308

10

2.30

11

7.50

16

355

12

2.30

13

公休

14

7.37

16

310

15

8.30

16

7.40

16

310

17

2.30

18

7.40

16

304

19

2.30

20

公休

21

公休

22

公休

23

8.30

16

256

24

8.30

25

7.45

16

439

26

2.30

27

7.35

16

330

28

2.30

29

公休

30

7.45

16

339

31

7.30

(合計)

192

3.907

昭和50年9月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

9/1

7.45

(時間)

16

km

332

2

2.30

3

7.45

16

277

4

2.30

6

公休

5

7.40

16

302

7

8.30

8

7.35

16

314

9

2.30

10

7.30

16

471

11

2.30

12

公休

13

7.50

16

340

14

7.00

15

7.50

16

330

16

2.30

17

7.35

16

306

18

2.30

19

公休

20

7.50

16

359

21

8.30

22

7.40

16

301

23

2.30

24

7.40

16

263

25

2.30

26

公休

27

7.40

16

343

28

7.00

29

7.36

16

307

30

2.30

(合計)

208

4,245

昭和50年10月

月日

出勤

(時分)

退社

(時分)

労働時間

走行距離

10/1

7.41

(時間)

16

km

300

2

2.30

3

公休

4

7.45

16

361

5

8.30

6

7.47

16

289

7

2.30

8

7.50

16

283

9

2.30

10

公休

11

7.50

16

343

12

8.23

13

7.47

16

326

14

2.30

15

7.50

16

317

16

1.20

17

公休

18

7.50

16

344

19

8.03

20

8.30

16

290

〔参考〕

生年月日 昭和6年7月22日

免許取得年月日 昭和27年10月6日

運転歴 昭和27年~50年23年1月

(合計)

144

2,853

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